川崎医療短期大学 創立50周年記念誌
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22 2001(平成13)年4月1日、介護福祉科は定員100人で開設されました。介護保険法が前年に施行されており、高齢化率の高まりと相まって「介護」という言葉が広く知られるようになってきた頃でした。そして介護福祉士養成に関しては、岡山県内では後発組といえるスタートでありました。 開設に関する業務全般は、当時の川崎医療短期大学事務部長であった伊地知均氏が陣頭指揮をとり、計画・立案・各方面への折衝にあたられ、細かな点までおろそかにしない厳しい姿勢で臨まれていたことを覚えています。また、東京の厚生労働省まで数回足を運び、そのたびに厳しい指摘を受けたことも苦い思い出として蘇ってきます。 ともあれ、2001(平成13)年の1月には入学試験を行い、多数の皆様のご尽力により学科開設にこぎつけることができました。設備面では、車いすのまま湯船に入ることができる特殊浴槽や天井クレーンなど様々な最新鋭の介護用機械器具を用意していただき、教員一同、否が応でもやる気をかきたてられました。 創設時の主な教員は、学科主任に歯学教育を長らく担当されてきた上原進先生が就任され、教授陣は川崎医科大学から八幡義人教授、医療短期大学第一看護科から林喜美子教授が着任されました。また、三宅妙子教授も川崎医療福祉大学と掛け持ちながら家政関係科目を担当されました。当時は、介護福祉士養成に関わった経験者が少なく、わずかな経験しかないスタッフの知恵を結集して教育を展開したものですが、今にして思えば厚生労働省の指定規則に則って汲々とした状態であったと思います。当時の守田哲朗学長、山口恒夫副学長からは暗闇の中を手探りで進むかのような覚束ない学科の運営に対して、懇切なアドバイスをしていただきました。その結果、今日があるといっても過言ではありません。 一方、入学生は岡山県内を含む中国地方はもとより、九州、四国、関西の各地から集まり、介護福祉の学問的専門性が確立していない状態の中で、教員と学生が一体となって「川崎の介護」の礎を作り上げたといえるでしょう。 爾来12年、学科の名称や入学定員の変更等の変遷を経て、2013(平成25)年度には念願であった卒業生を教員として迎え入れることができました。団塊の世代が後期高齢者の仲間入りを迎える「2025年ショック」を前に、介護福祉士の果たすべき役割は多岐にわたり、しかも重要になってきています。今一度、学科創設時の初心に返り、地域社会の期待に応えられる人材の育成という本学科の使命を学科内で共有し、力を合わせて盛り立てていく、これから先もそのような学科であり続けてほしいと思います。元医療介護福祉科主任藤原 芳朗介護福祉科創設の思い出

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