川崎医療短期大学 創立50周年記念誌
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23学科創設時の思い出 私は1999(平成11)年3月、65歳で川崎医科大学を定年退職し、同年4月から川崎医療短期大学でお世話になることになりました。最初は第一看護科の教員になり、医学概論や小児看護Ⅱの講義を担当しました。2005(平成17)年4月に、私どもの医療短期大学に全国初の医療保育科が開設され、修業年限3年、入学定員70人で医療の専門的知識と保育技術をもつ保育士を養成することになり、私も学科開設とともに医療保育科へ移ることになりました。日本医療保育学会では、医療と密接に関わる分野における保育を医療保育と定義し、保育士の資格を有し、病児または病後児保育、病棟保育、外来保育、各種の療育機関(障害児施設その他)等、医療との接点がある現場に勤務し、より高度な専門性をもつ保育士に「医療保育士」という呼称を用いています。 医療保育科開設当時の医療短期大学の学長は守田哲朗先生でした。先生は私と同じ岡山大学医学部小児科教室出身の4年先輩の小児科医で、三水会という岡山市近郊に住む小児科医の会(毎月第3水曜日の夜に岡山市内で行う懇親会)のメンバーの一人でもあり、平素から親しくお付き合いをさせていただいている先生でした。その守田先生から、このたび医療短期大学に医療保育科という新しい学科を創設するので、第一看護科から医療保育科へ移って初代の学科主任になってほしいと要請されました。旭川荘厚生専門学院から中原朋生先生という優秀な先生が副主任として赴任してくるので、心配せずに引き受けてほしいといわれ、お引き受けすることになりました。 間もなく、中原朋生先生が医療保育科の専任教員として加わり、毎週1回開催される医療保育科全体会議では、司会・進行役から学科内のとりまとめや調整に尽力くださいました。私は先生に「おんぶに抱っこ」で助けていただき、諸々の課題を解決、処理することができました。中原朋生先生をはじめ、支えてくださった皆様に心から感謝しています。医療保育科初代主任梶谷 喬医療保育科創設の思い出

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